12:35 横須賀市の追浜 今日は、病院に行った帰りに横須賀市の北端にある追浜で昼を食べました。 そんな機会に、ちょっと珍しい風景があるので、写真に残しておこうかと。 ここは、京浜急行の追浜駅から東に延びる追浜銀座商店街の外れです。 先ほどサンマーメンを食べた彩鳳もこの一角にあります。 新型コロナウイルス感染症の影響で閉まっているお店も多いですが、シャッターが閉まっているのはコロナの前からもあり、シャッター商店街になりつつあります。 追浜には、日産自動車の追浜工場や住友重機械工業の工場(現 住重横須賀工業(株))があり、かつては多くの工員達があふれ活気があった土地でした。 |
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12:37 鷹取川 その追浜に流れている鷹取川。 追浜駅の南西に位置する標高139mほどの鷹取山付近を源流とし、八景島の近く東京湾の湾内湾、平潟湾にそそぐ2級河川です。 wiki 調べだと、上流は別の名称で、実際の延長は 0.570kmしかないんですね。(笑) 自分は、生まれて中学生の途中まで、ここ追浜に住んでいました。 そして、社会人になってからも7年半、仕事先が追浜にあったので通っていた場所です。 |
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12:38 汽水域(きすいいき) この辺りは、河口の平潟湾に近い地域で汽水域。 干満の影響を受けて、大潮の時には川が逆流するのが見られます。 |
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12:38 きれいになりました 自分が記憶している時と比べると、比較にならないくらいきれいになりました。 自分が子供の頃、もう半世紀も前、昭和の後半になりますが、汚かった。 川底から(たぶんメタンガスの)気泡がプクプクと上がっていました。 下水が完備されていなかったりしたこともあり、生活用水をそのまま川に垂れ流していた時代です。 自分の家でも、洗濯の水、炊事の水、風呂の残り湯、これらすべてはドブに流されて、この鷹取川に流れ込んでいました。 なので、当時は川の水は濁っていて、川底どころか10センチ先も見えない程だったと記憶しています。 それでも、ハゼやボラなどが住んでいました。 ハゼは奇形でしたけど・・・・・。 (-_-) |
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12:38 フェンスは無かった 当時はこんなフェンスはありませんでした。 高さが15cm、幅20cmほどの縁石が設置してあるだけ。 川面までは1m程だったと思いますので、小学生だった当時は、川に降りて遊んでいることもありました。 (汚くて、悪臭がしていたのにね。) 学校の帰りに、縁石の上を歩いていて、ボーっとして川に落ちたこともありましたね。(笑) |
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12:39 珍しい景色は そして、珍しい風景はこれ。 左側は先ほどの追浜銀座商店街です。 そして、商店は鷹取川の川幅の半分にはみ出して建てられています。 1枚目の写真にある商店は、全部この鷹取川の上に建てられていたんです。 |
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google map で見ると グーグルマップで見てみると、川の上に張り出しているのが良くわかります。 |
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12:41 コンクリートの柱の上に 川底からコンクリートで柱を建てて、その上に商店や住宅が建っています。 子供の頃は、見慣れていたので別に珍しいとも思っていませんでした。 でも、他の場所を訪れても、こんな構造を見かけたことありません。 小学生の頃は、干潮の時など、この下に降りて遊んだこともありました。 その時分、生活用水とか垂れ流しだったでしょうけど、流石に糞尿までは? どうしていたんでしょね。(考えないことにします) 向こうに見える橋のところまで行ってみましょう。 あの橋も、当時は手すりがありませんでした。 |
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12:43 下水は 今は、下水の配管が各戸から裸のまま接続されています。 |
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12:43 ガスは ガスはプロパン? ボンベが置いてあるところもありますし、置いてないところもあるので、都市ガスもきているのかな。 ところで、あのガスボンベは、どうやって運ぶの? と素朴な疑問。 |
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12:45 狭い 対岸にグルっと回り込んでみた。 「狭っ!」 建物と建物の間、ここを通って運んでるんでしょう。 ガスのボンベよりちょっと広いくらいかな。 こんな狭いところ、人力でしか運べないから、大変でしょうね。 誤って、川に落としたりして。(笑) |
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12:48 いつまで 上流側から。 距離にしたら100mくらいかな。 ほとんどが商店で20軒余りが並んでいます。 今の時代となっては、こんな形で川の上に家を建てるなんて許可にならないでしょう。 一般的なコンクリート構造物の寿命が50年〜100年と言われていますが、それはコンクリートの質や環境に寄るところが大きい様です。 少なくとも、自分が子供の時には、この商店街は、すでにありましたので、50年以上は経っています。 近い将来、再開発とかで暗渠になっちゃう可能性が大きいですね。 (おわり) |